にせ者王女の政略結婚

私は家臣なのだ
 ランダスが出て行くとエメルダはしばらくその場所に立っていた。
 これは私も悪い、私がいかにもラルリア王女のような態度でいるからランダスが間違えるのだ。普通の家臣のように私が平身低頭しランダスの命令に絶対服従を貫けばランダスだって間違えようがない。よくランダスがこんな生意気な女に腹を立てないものだ。ランダスが優しい事をいいことにしてわがままの言い放題。身分を考慮に入れればラルリア王女より私の方がわがままかもしれない、これからはもっと立場をわきまえよう。
 エメルダはそう決心していたところに、開いていた扉からブリジットが部屋を覗きこんだ。
「まあ!!」
 ブリジットが悲鳴のような声を上げた。
「泣いていらしたんですか?」
 エメルダはしまったと思った。まだ、涙の後が残っていたのだ。
「ランダスさまですね、なんと言うことでしょう。今度は何と言われたんです?」
「いえ、今度も誤解なんです」
 エメルダはなんとか言い繕おうととしたが、うまく言えない。
「誤解なんて、ランダスさまをかばう必要なんてありません。さあ、何と言われたかおっしゃって下さい」
「何も言われていません」
 エメルダはそう言い放ったがブリジットは引かない。
「国王陛下にお話してランダスさまをきつく叱っていただく必要があります。でないと、ラルリア王女さま、これからの長い結婚生活で何度もこんな目にあいますよ」
「あいません」
 もう一度エメルダは宣言したがブリジットには効き目がない。
「現にたった今そんな目にあったばかりではありませんか、泣き出すような事を言われたのでしょう? 私はランダスさまをよく知っています。ランダスさまは、思いやりがないんです。相手の気持ちも考えないで思った事をズバズバ言われます。悪い癖なんです」
「ブリジット!!」
 エメルダは初めて厳しい声を出した。
「私が問題ないと言っているんです。だから、私の指示に従って下さい。何もしなくて結構です!」
「はい…」
 急に厳しくなったラルリア王女にブリジットが驚いている。
「ランダスさまは何も悪くありません。私が勝手に思い違いをしていただけです!」
 エメルダははっきりと言った。しかしエメルダの方が圧倒的に立場が上なのでブリジットにとっては厳しく叱られている状態になった。
 ブリジットはあわてて姿勢を正すと、上官の前に立つ軍人のように正面を見据えた。
「申し訳ありません」
「いえ…」
 ブリジットの急な変わり様にエメルダの方が驚いてしまった。
「だから… もう、ランダスさまの事はなにもしなくて結構よ」
 エメルダは今度は優しく言った。
「承知しました」
 しかし、ブリジットはひたすら従順に答える。
「いえ…… そういうつもりじゃなかったの…」
 ブリジットが私に叱りつけられているかのように振る舞っているので困惑するばかりだった。考えてみればブリジットは王女の侍女なのに、私は名もない商家のさらにその下働きの女中なのだ。そんな私がブリジットを叱るなんてあってはならない事なのだ。
「今後、このような言動はつつしみます」
 ブリジットはひたすら恐縮して答える。エメルダはそんなブリジットを困惑の目で見つめていた。たぶん、ランダスの前では私はこんな風にしないといけないのだろう。
「あの、ティアラが歪んでしまったから、修理に出しておいてくれない」
 話題を変えようと思ってエメルダは机の上のティアラを指さした。
「まあ、どうされたんですか?」
「ランダスさまが踏んでしまわれたんです」
「まあ、なんとひどい事を…」
 ブリジットが憤慨の声を上げた。
「もちろん、わざとじゃありません」
 ブリジットがまた騒ぎ出さないように早めに釘を刺しておいた。

 エメルダはしばらく自分の部屋でのんびりしていた。とりあえず今のところ予定はないらしい。書棚から本を引き出してみた。たぶんラルリア王女が読んでいた本なのだろう。
 しかし、急に騒々しい音が聞こえてきた、ランダスの声だ。
「ラルリア!!」
 怒鳴りながらランダスがこっちに近づいてくる。
 何の用かは知らないが今度は絶対に逆らうまい、ランダスの命令には絶対服従なのだ。エメルダはそう心に誓いながら立ち上がった。
「そこにいたのか」
 そう言いながらランダスが部屋に入って来た。ブリジットも後から入ってくる。
「すぐにジョナサンにメールを送るんだ。文面は考えた」
「ジョナサン?」
 いきなり知らない人の名前が出てくる。
「さっき言ったろ、セラニルカニアの監督官だ」
 セラニルカニアとはラルリア王女の領地の名前だ。つまり、セラニルカニアの監督官に呼び出しのメールを送る件の事らしい。しかし、さっきの話では監督官の名前なんて出てこなかった。
「いえ、聞いていま……」
 エメルダはそこまで言ってあわてて口をつぐんだ。家臣の分際でご主人さまの言う事を否定するなんてあってはならないのだ。
「いえ… 忘れていました」
「パソコンだ」
 ランダスはそう言いながら机の上のパソコンの準備を始める。
「ラルリア、キーカードは持っているか?」
「はい」
 エメルダはすばやくランダスの横に行くと内ポケットからキーカードを取り出した。しかし、このままランダスの言う通りにやればセラニルカニアの監督官と会わなければならなくなる。自分にはとてもそんな事は出来そうになかったが仕方なかった。
 エメルダはキーカードを差し出した。
「指紋認証しろ」
「はい」
 エメルダは直立の姿勢で答えた。さっきブリジットがやっていたのを真似たのだ。指をキーカードに押し当てると認証が通った。
「これを承認しろ」
「はい」
 エメルダはキーカードをパソコンの画面に押し当てた。ピッと音がした。
「いいぞう、これで君の署名ができた」
 ランダスが何かを操作すると画面が変わった。そんな画面を見てランダスは満足したようにパソコンから離れる、たぶんメールが送信されたらしい。
「これでいい、ジョナサンはあすには来るだろう」
「あしたですか?」
 エメルダはびっくりしてしまった。さっきの話では明後日だと言っていた。あしたならセリフを練習する時間がない。
「そう、あしただ」
「でも、それではセリフを練習するひまがありません」
 そう言ってしまってからエメルダはまたランダスに逆らっている事に気がついた。エメルダはあわてて直立の姿勢を取った。
「いえ、がんばって練習します」
 徹夜してでもやらなければならない。
 しかし、そんなエメルダをランダスが不思議そうな目で見ている。
「ラルリア、どうしたんだ?」
「いえ、どうもしていません」
 エメルダはやはり直立の姿勢で答えた。
「ラルリア、変だぞ。なんでそんなにすなおなんだ?」
「すなおではいけませんか?」
 そう答えたがどこか皮肉のように響いてしまった。言い方がまずかったと思ったがもうどうしようもない。
 ランダスは黙ってエメルダを見ている。エメルダはそのまま直立の姿勢で正面を見据えていた。さっきのブリジットと同じだ。
「おれが馬の骨と言ったのを気にしてるのか?」
 ブリジットが息を飲む小さな声が聞こえた。ランダスがキッとブリジットを睨む。
「外せ!」
「承知しました」
 ブリジットはそう答えると素早く部屋を出ていく。
「さっきの事は気にするな、俺が悪かった、何度でも謝る」
「いえ、そうじゃなくて、私はランダスさまのおっしゃる事に逆らうべきじゃないと思うんです」
 エメルダがそう答えるとランダスはキョトンとしている。
「なぜだ?」
「なぜって、私はラルリア王女じゃありません、なのに今まで私はまるで王女のように振る舞っていました。ランダスさまのご命令に逆らってばかり、こんな生意気な女にランダスさまがよくお怒りにならないもんだと感心します。だから、心を入れ替えました」
「それは違う」
 ランダスは唸るようにつぶやく。
「俺は君を支配するつもりはない、君と俺は対等だ。だから君は君の思うようにしていい。それにだ…」
 ランダスはおもむろに背筋を伸ばした。
「君にラルリア王女を演じろと命令したのはこの私だ。君はラルリア王女でなければならない、でないと大変な事になる。我が国とニレタリアの軍事同盟が破綻してしまう。ぜったいにそんな事が起きてはいかんのだ。つまり君はラルリア王女なのだ。だから、ラルリア王女のように振る舞っていた事を詫びる必要などまったくない」
 エメルダはそう言われるとなるほどと思ってしまった。
「さっきの事は何度でも謝る。本当に君がにせ者だという事を忘れていたのだ。だから君の事を言ったのではなくて、にせ者を送り込んできたニレタリアを悪く言ったつもりだったのだ」
「はい……」
 エメルダはやはり直立の姿勢のまま答えた。
「そういう態度をやめてくれないか、俺は怒った女にどう対応すればいいのかまったくわからんのだ。女は苦手だ」
「いえ、そんなつもりじゃ… 怒ってなんかいません」
「だったら、普通にこっちを見ろ」
「はい…」
 エメルダは直立の姿勢をやめるとランダスを見上げた。
「それでいい、次は君の思った事を言え。君は俺と対等だ、だから何を言ってもいい」
 ランダスはそう言いながらも命令する。
 しかし、エメルダは混乱していた。ラルリア王女になれと言うのならわかる。だが、対等とはどういう意味だろう。まさか一国の皇太子と下働きの女が対等なわけがない。
「さあ、言いたいことがあるなら言え、なにかあるだろう」
 ランダスはエメルダが彼に恨み事を言いたいだろうと思っているらしかった。しかし、エメルダはランダスに恨み事などまったくなかった。いや、一つあった。ヌスランの件だ。国王陛下より宮殿に住むようにランダスを説得してくれと頼まれている。あの件を言い出すのに絶好に機会だ。
「なにを… 言ってもいいんですか?」
 エメルダは慎重に尋ねた。
「もちろんだ」
 ランダスは胸をはる。
「でも、これを言ったらお怒りになると思います」
「怒るものか、俺はこれでも人の意見を聞く耳を持っている」
 ランダスは自分が度量の大きいところを見せたいらしく、穏やかな顔をして立っている。
「では、申し上げます」
 エメルダは軽く咳払いをした。
「国王陛下から頼まれたことです。つまり、国王陛下はランダスさまにヌスランには住まずに王宮に住んで欲しいそうです」
「知ってる。しかも、何度も言われた」
 ランダスは奇妙な顔をする。そんな伝言を伝えてどうする、といった顔だ。
「だから、私から頼んでくれと言われました」
「ああ、確かに伝言は聞いた。それでいいか?」
「いえ、伝えるのではなくて、ランダスさまがヌスランに住むのを止めるようにと…」
「止める? どうやって」
「だから……」
 いよいよ、ここからが本題なのだが、でも、これを言ったら殴られるかも……
「ヌスランは私のものです。だから、ランダスさまがヌスランに住む事を許可しないようにと……」
 ランダスがあっけに取られたように口を開けている。
「これは私が言ったのではありません、国王陛下のご命令なのです」
 エメルダはあわてて付け加えたがランダスの顔が見る見る険しくなる。
「じゃあ、君はどう考えているんだ!」
「わたし?」
 エメルダははたと困ってしまった、自分の考えなんてない。
「私はどちらでもありません」
「ふざけるな!!」
 ランダスが怒鳴る。
「自分の考えを持て! 君はどう考えているんだ!!」
「私の考えなどありません」
「それではだめだ。いいか、おやじの考えなどどうでもいい、君の考えが重要なのだ。君はこの問題をどう考えている!!」
「わたし?」
 エメルダは混乱していた、王家の問題など考えたこともないのに、でも、何か言わないと。
「王宮から離れていたのでは政治に疎くなります」
 意味もよくわからないまま口走ってしまった。
 ランダスが呆れたようにエメルダを見ていたが急に顔をそらした。そして頭にきた様子で寝室から出て行く。
「お許しください、言い過ぎました」
 エメルダはあわててランダスの後を追った。このままランダスに見捨てられたら生きていけない。
「どうぞお許しください、今のは意味もわからずに申し上げた事です」
 エメルダはランダスの後ろから彼の腕に必死ですがり付いた。しかし、ちょうどその時ランダスが振り向いた。ランダスのような大男が怒りに任せて振り向いたのだからその力はものすごいものだった。エメルダの軽い体はランダスの腕に引っ張られて軽く宙に舞い上がった。床を二三回転がって何かに頭をぶつけた。ブリジットが悲鳴を上げているのが聞こえた。
「ラルリア」
 ランダスがあわててやってくる。
「大丈夫か?」
 エメルダを抱き起こしてくれた。
「なぜだ! なぜ、君が転がって行ったのだ。君を投げ飛ばすつもりなどなかったのに……」
「私がかってに転んだんです」
 エメルダは微笑んだ。彼女を投げ飛ばしてしまったと思ってランダスが深刻な顔をしているのが面白かった。
「どこか痛むか?」
 ランダスが聞く。エメルダは手足を軽く動かしてみたが痛む所はない。
「大丈夫です。でも、それより、今のは意味もわからず申し上げたことです。取り消します」
 エメルダにとっては怪我よりこの問題の方が重要だった。
「コロコロと自分の意見を変えるな、信念を持て!! いいか、君の意見はわかった。もっともな意見だ。だから少し考えたい」
「でも、ヌスランはランダスさまのものです。だから、これは国王陛下にお返しするつもりです。なのに、住む事を許可しないなどと申し上げるなど、とんでもない思い上がりです。お詫びします。だから、今、私が申し上げた事は忘れて下さい」
 エメルダはにっこりと笑った。これで許してもらえると思った。
「いや、違う」
 しかし、ランダスが怖い声で否定する。
「これはヌスランに住む事を許可するしないの問題じゃない。いいか、肝心なのは君が王宮に住むべきだと考えていることだ。これは尊重しないといかん」
「まさか、私の意見など取るに足らないものです。なんの価値もありません」
「そんな事はない。君の意見は尊重するつもりだ」
「なぜです。貧乏な下働き女のたわごとです。聞く必要さえもないものです」
「違うね」
 ランダスがぐっとエメルダを抱き起こした。
「俺の妻になる人の意見だ。だから、君の意見は尊重するつもりだ」
 エメルダは唖然としてランダスを見上げた。『妻になる人』という言葉が頭にがんがん響いた。私が彼の妻に本当になるのだろうか、本当にこの私が皇太子妃になるのか。しかし、エメルダはそんな考えを頭から追い払った。なぜ、この人は私が喜ぶ事を言うのだろう。こんな事を言われたらバカ女が本気にするじゃないか、馬の骨女が本気にしてしまう。
「立ち上がって」
 いきなりランダスがエメルダを抱きかかえた。ランダスの胸元に抱き寄せられてエメルダは息が止まりそうだった。男の人の匂いがする。ランダスはエメルダを抱きかかえると軽々と立ち上がった。そしてゆっくりと降ろしてくれる。
「立てるか?」
 ランダスがエメルダが倒れても大丈夫なように両手で前後を守ってくれる。上流階級のご婦人はこういう場合によく倒れるらしいが、エメルダも倒れそうだった。心臓がドキドキして宙に浮いているような感じだ。たぶん倒れそうになったのだろう、ランダスの手が背中に当たってエメルダを押し戻している。
「大丈夫か? 頭を打ったのか?」
 ランダスが心配そうだが、ふらふらしてるのはもっと別な事が原因なのだが。
「大丈夫です」
 エメルダはにっこり笑うとなんとか一人で立った。
「本気なんですか?」
 エメルダは聞かずにはいられなかった、『妻になる人』の言葉の意味を知りたい。
「なにが?」
 しかし、ランダスは普通に聞き返してくる。
 『なにが?』と聞き返されるとこれ以上何も聞けなくなる、エメルダはそのままだまって下を向いた。
 ランダスはしばらくエメルダの様子を見ていたが彼女が大丈夫らしいのをみて背筋を伸ばした。
「ここに住むかどうかはもう少し考えたい、頭を冷やしてみよう」
 エメルダはあわてて顔を上げた。自分のさっきの意見はまったくの思い付きであってタイミング次第では真逆の意見になっていたかもしれないのだ。そんなものをまともに受け取ってもらっては困る。
「言われてみれば君の言う事が正しいかもしれない、俺は意地になっていたようだ」
 ランダスはにっこり笑うとエメルダの頬をつまむ。
 エメルダは思わぬ展開に混乱してしまった。私がでまかせに言った事を正しいと言ってくれるなんて……
「さて、ではセリフを考えてくる」
「せりふ?」
 ポカンとしているエメルダにランダスが優しく微笑みかけた。
「ジョナサンとの謁見の場で君がしゃべるセリフだ」
「はい……」
 エメルダは何の話か必死で思い出そうとした。そう、ラルリア王女の領地を横取りする話をしていたのだ。
「急いで考えないとな、謁見は明日だから君が練習する時間がいる」
 ランダスはそう言うとそのまま向こうに歩いて行ってしまった。








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