にせ者王女の政略結婚

セルダからの電話
 エメルダはランダスの部屋にむかっていた。ランダスにこの事を相談したかったのだ。こんな大金を動かすのに自分一人の判断では心もとなかった。
 廊下を進んで行くとずいぶん行ったところに扉があった。たぶんこれがランダスの部屋への扉だ。ちょっとためらってからエメルダは扉をノックした。
「はい」
 いきなり扉が開いてメイドが顔をのぞかせた。
 なんと言ったらいいのか、ちょっと迷ってからエメルダは口を開いた。
「ランダスさまにお会いしたいんですが」
「はい、少々お待ちください。今、取次ぎます」
 メイドはそう答えるとポケットから携帯電話を取り出してどこかに電話している。と、ここからでも聞こえるくらいの怒鳴り声が携帯から聞こえてきた。
「すみません……」
 メイドは謝っているが、またもや怒鳴り声。
「どうぞ」
 メイドは真っ赤な顔をして携帯をしまいながらエメルダを部屋の中へ案内する。
「今のは、ランダスさまなの?」
 あんな怒鳴り方をする人がランダスのほかにもいるのならメイドが可哀想だ。
「はい」
 メイドは頷く。どうやらランダスは機嫌が悪いらしい。この様子ではメイドの次は私の番になるかもしれない。エメルダは躊躇した。出直した方がいいかもしれない。
「どうぞ」
 エメルダが扉の所に立ったままなのでメイドがもう一度案内する。
「いえ… ちょっと、用事があるのを忘れていて… だから、後でもう一度来ます」
「ラルリア!!」
 奥の方から怒鳴り声が聞こえてきた。ランダスだ。エメルダはよっぽど逃げようかと思ったが逃げるともっとひどいことになりそうだった。
「バカ者が!!」
 ランダスは早足で歩いて来ながら怒鳴りつける。エメルダはてっきり自分が怒鳴られているんだと思ったがランダスが近づいてくるにつれて怒鳴ってる相手はメイドだとわかった。
「いいか、ラルリアは俺の妻だぞ。夫の部屋に入るのに取り次ぐ必要がどこにある。そのまま通せばいいんだ!」
 ランダスはメイドを怒鳴りつける。
「はい…」
 メイドは小さくなって頷いている。それからランダスはエメルダの手を取った。
「君も君だ。なんの遠慮もいらん。メイドがなんと言おうと入ってくればいいんだ」
「はい…」
 エメルダも小さくなって頷いた。
「で、なんの用だ?」
「はい…」
 エメルダはランダスの顔を下目使いに見上げた。機嫌が悪い時にこの話はまずいかもしれない。
「じつは… あの、預金を戻せとニレタリアの事務官が言ってきました。だから、どうしたものかと思って、ご相談に……」
「なるほど」
 ランダスが大きく頷いた。
「で、君はどうするつもりだ?」
「やはり、返そうかと…」
「バカもの!!」
 エメルダが全部を説明する前にランダスが怒鳴る。
「お人好しにもほどがある、もらっておけばいいものを、で、もう決済をしたのか?」
「いえ、まだです。一応、事務官には断るように指示しています。でも、それで良かったのか心配で…」
「なるほど」
 ランダスはまあ入れと言うように戸口に立っていたエメルダを誘う。
「もらっておけ。何の遠慮もいらん。もともと君の金だ」
「でも、返さなかったらラルリア王女さまが怒ると思います。それが怖いんです」
 ランダスは笑った。
「怖くないさ。君はここにいるんだ。ニレタリアから何が出来る」
「私がにせ者だという事をバラすかもしれません」
 ランダスはもっと大声を上げて笑った。
「にせ者を送り込んで来た張本人がバラすもないだろう。そんな事をすれば戦争になって両国とも滅んでしまう」
「でも、やりかねません」
「なるほど」
 ランダスは大きく頷いた。
「今回のにせ者の件はニレタリアが国家として計画したことではないと俺は見ている。たぶん、王女の近くにいる極一部の取り巻き連中が勝手にやったことだ。国務大臣あたりも嫁いだのがにせ者だとは知らないふしがある。ニレタリアに潜入している俺の情報元からはそのような報告がきている。だから、バラすぞなどと脅せるわけがない。自分たちの首の方が危ないはずだ」
 ランダスはエメルダを見るとニヤリと笑った。
「だから、もらっておけ」
「はい…」
 もらっておくか、とエメルダは思った。物事はすでにその方向で動いているし、私の欲もこれで満足できる。
「ただ…」
 何を思ったのか不意にランダスを足を止めた。そして何かを考え始めた。
「ただ、いつまでも極一部の取り巻き連中だけの秘密にはできんだろうから、いつかは国王に報告しなきゃならん時が来る。まあ、その様子を見てみたいものだが、その後は国としてこの問題に対応して来るだろう。さて、どう対応してくるかだが、たぶん、一番、穏やかな対応は謝罪してくる事だろう。にせ者を送った事を謝罪して改めて本物のラルリア王女が嫁いでくる。その可能性が高いな……」
 ランダスは腕組みをして難しい顔をしている。エメルダは急激に不安になってきた、本物が嫁いで来たら私はどうなるのだ。どこかにランダスの妻になれるかもしれないとの淡い期待があったがそれが急速にしぼんでいくのがわかった。私の役割はそこで終わってしまう。もうランダスに会うことすらできなくなる。そしてランダスは本物のラルリア王女と結婚し幸せな家庭を築く。もちろん、それがいいに決まっている。にせ者の女と結婚しなければならないなんてランダスがかわいそうだ。しかし、でも……
「最大の問題は、にせ者が嫁ぐことになった理由をなんと説明して来るかだ。たぶん… おそらく、君が悪者にされるだろう。つまり、君が自分の顔が王女に似ている事を利用して王女の代わりに王妃になろうと思い勝手に王女と入れ替わってしまった、と、まあ、こんな説明をしてくるだろう」
 エメルダは悲鳴を上げた。
「違います、私は脅されたんです」
「俺はわかっている。しかし、ニレタリアの国内では必ずそのような言い訳がされるだろう。そして君は悪者にされてしまう」
「まさか! では、私はどうなるんですか?」
「心配するな。俺が必ず君を守る。ただ、この問題に対して早めに手を打っておかねばならん。これは面白くなってきたぞ」
 再びランダスは早足で歩き始めた。この人はこう言う策略事が大好きなのだ。でも、こっちはそれどころではない、ヘタをすれば処刑されるかもしれないのだ。
「あの、やっぱり、お金は返しましょうか。お金が戻れば王女さまはそのまま秘密にしておこうかと思うかもしれません」
「いや、それはないな。にせ者の件はいつまでも秘密には出来ないはずだ。でないと王女は宮殿の中を自由に歩くことすら出来ん」
「でも、やっぱり、お金は戻します」
「いや、むしろ、それはまずい。それでは君がにせ者だと認めたことになる。いいか、この件は真実が全て明らかにされる事以外の解決は俺が認めん。なにしろニレタリアはにせ者を嫁がせて来たのだぞ。それなのにお茶を濁したような言い訳で話が通ると思ったら大間違いだ。それまではあくまで君が本物だという事で向こうの言い訳を突っぱねる。いいか!!」
「はい…」
「向こうが何と言おうと引くんじゃないぞ。真実をすべて明らかにしての謝罪以外に解決策はない事を向こうに思い知らせねばならん。でないと、俺の気がすまん」
「はい…」
 エメルダはうつむき加減に答えた。今の言葉でこのにせ者事件の決着地点が見えてきた。相手を謝罪させた上で元に戻そうとしているのだ。私はそれまでのつなぎにすぎない。でも、それが当然の事だ。
「心配するな。たぶん、最大の責任者はラルリア王女自身だ。彼女が身代わりを送れと命じたに違いない。だから責任者を処罰するとなると彼女を処罰せねばならん。それには応じないだろう。つまり、決着のしようがないと言うことだ。だから君の皇太子妃の座は揺るがない」
 ランダスはぐっとエメルダを抱き寄せたが、エメルダはランダスの言葉の意味がわからなかった。
「ところで、ほぼセリフが出来上がっている。練習するぞ」
「せりふ?」
 ランダスはいつも意味がわからない事を言い出す。
「セラニルカニアの監督官との会見の時の君のセリフだ」
「ああ」
 ラルリア王女の領地の監督官との会見だ。会見は明日だから今日は徹夜しても覚えてしまわなければならない。


 セリフの練習は大変だった。セリフ自体を覚えるのは簡単だったが、威張った雰囲気を出すのが難しいのだ。ランダスに何度も何度もやり直させられて夜更けまで練習が続いた。
 もうヘトヘトのなったころ、エメルダの携帯電話が鳴り出した。エメルダはどうしたものかと思ってランダスを見上げた。
「かまわん、出ろよ」
 ランダスはちょっと休憩と言った感じで椅子にドカッと座った。
 携帯の発信者を見てみるとセルダからだった。あの、エメルダを身代わりに送り込んだ張本人だ。
「あの、セルダからです。つまり、私をここに送り込んだ人です」
 こんな人からの電話ならランダスに説明しておかないとまずい事になってしまう。
「なるほど、たぶん、預金の件だな。君が事務官に断りの返事をさせたから、あわてて電話してきたんだろう。もちろん預金の件は断れよ」
「でも、なんと言えばいいんです?」
「何とでも言えばいい。そうだな、侍女が全部やっているから自分には何の力もないとでも言っておけ」
「はい……」
 これはちょっと難しそうだ。
「口から出まかせのうそを言えばいい、なんなら俺を悪者にしてもいいぞ。ただし、こちらの動きを悟られるな」
「こちらの動き?」
「俺が君の素性を知っていると言うことだ。それに君の領地の監督官を呼ぼうとしていることも秘密だ。それと、携帯をスピーカモードにしろ、俺も話を聞きたい」
「はい…」
 いよいよ難しそうだ。
 携帯の呼び出し音はしつこく鳴っている。
「早く出ろよ」
 ランダスが催促する。エメルダは携帯電話をスピーカモードにすると深呼吸をした。
「もしもし…」
「なにしてるのよ! 電話が鳴ったらすぐに出なさい!」
 いきなりセルダが怒鳴る。
「ごめんなさい、今、人が近くにいたもんだから…」
「そう、で、調子はどう、うまくいってるの?」
「うまくいっています」
「それはよかったわ。そっちのニュースを見たけど、なかなか上手よ、その調子でね」
「はい」
「これからは毎日私に電話しなさい。そして細かくこちらの指示に従うの、いいわね」
「……」
「あなたは一人では何をすればいいかわからないでしょう、だから私が教えてあげる。だから、毎日電話するのよ。もちろんあなた一人になった時ね。困った事があればいつ電話してもいいわ。細かく指示してあげるからその通りにするのよ、いいわね」
 ちょっと困った命令だ。セルダの指示になんか従えるはずがない。エメルダは答えに窮してしまった。
「どうしたの、返事は?」
 セルダの声がきつくなった。エメルダは思わずランダスを見た。
「断れ」
 ランダスが耳元でささやく。
「でも、なんと言って?」
 携帯を手で塞いでエメルダもささやいた。
「スパイに来たわけじゃないと言え」
「えっ、スパイ?」
 意味がわからないがなんとか断らなければならない。
「もしもし! エメルダ聞いてるの!」
 携帯を塞いだ手を開くとセルダが怒鳴っている。
「はい、聞いています」
「じゃあ、はっきり返事しなさい」
「無理です」
「なにい〜!!」
 セルダの怒鳴り声。
「今、なんと言ったの!」
「無理だと言ったんです」
「なぜ、無理なのよ!」
 セルダが癇癪を起こして怒鳴る。
「だって、あなたに聞いてもここの事は何もわからないでしょう。ここに来る時もなにも教えてもらわなかった。私が一人で乗り切ったのよ、自分の力だけで乗り切ったの、だから、あなたに相談しても無駄だと思うわ」
「違うわね、私の方が宮殿の中のしきたりに詳しいわ。それに乗り切ったと言ってもたった一日でしょう、これからどんどん難しくなるわよ、こっちの支援がなかったら乗り切れないわ」
「じゃあ、困った事が起きたら電話する。でも、こっちでなんとかなってる時は自分でやるわ。事情がわかっていない人に妙な指示をされると返ってやりにくい」
「そうね、細かいことはそれでいいわ。でも、大きな事はこっちの指示に従うのよ、いいわね」
「それも断るわ。私の任務は身代わりをする事よ、スパイに来たわけじゃないわ。だから、身代わりをすることだけをやる。それ以外の仕事は引き受けないわ。そうでしょ、だって、身代わりだって無理やりやらされているんだから、これ以上妙な事を言われてもお断りよ」
「こっちからの指示は身代わりに関することだけよ、スパイなんて必要ないわ。まず、預金を一旦全部こっちへ戻しなさい」
「それは無理ね、私に何が出来ると言うの、私は言われるままに動いているだけ。だって、何も状況がわからないんだから動きようがないわ。預金は侍女が全部やっている。私に口出しする力はないわ」
「侍女… あなたに侍女がいるの?」
 セルダはピント外れの質問をする。
「当たり前でしょ、私はここではラルリア王女なのよ、侍女やらメイドがいっぱいいるわ」
「そうね… でも、王女なら命令できるでしょ」
「理由を聞かれるわ、なんと説明したらいい。少しでも怪しまれることはしたくないの、だってにせ者だってバレたら殺されるのよ」
「でも、あなたは、私達が送り込んだにせ者なのよ。だから私達の指示に従うのが当然でしょう。まず、預金を一旦全部こっちへ戻しなさい!!」
 口論では負けると思ったのかセルダが怖い声を出し始めた。脅して言うことを聞かせようとしているのだ。
「無理だって言ってるでしょ」
「無理じゃないわ。やる気がないだけ。言うとおりにしないとひどいことになるわよ」
「できないわ」
 エメルダも必死で叫んだ。
「黙んなさい! 言う通りにするの、それが身のためよ、あなたを殺すなんて簡単に出来るんだから」
 セルダが怖い声で脅す。言い合いになってきたがセルダの方が気が強いからエメルダは負けそうだった。エメルダは救いを求めるようにランダスを見つめた。と、不意にランダスが立ち上がると部屋の隅に素早く移動した。
「ラルリア、ここにいたのか」
 あたかも今、部屋に入ってきたような感じでランダスが声をかけた。スピーカモードになっているからセルダにも聞こえたはずだ。
「なんだ、電話してるのか」
 そう言いながらエメルダの横に座った。
「話がある、さっさと電話を終わらせろ!」
 ランダスが怖い声で怒鳴る。
「はい、ランダスさま…」
 エメルダはわざとランダスの名前を呼んだ。でないとセルダに誰が横にいるかわからないからだ。
「だから、預金を戻すのは無理です」
 エメルダは今度はセルダに話すふりをしてランダスに電話に介入できるきっかけを作ってやった。
「預金! 電話の相手はあの預金を戻せと言ったきたバカものか、で、理由を聞いたのか?」
 ランダスがどすの効いた怖い声でどなる。
「いえ、理由を言わないんです」
「言わない! なぜだ。預金を戻せと言うからには理由があるだろう!!」
 ランダスの声は今にも癇癪を起こしそうな声だ。
「よこせ、俺が代わる」
 ランダスが本当に携帯を取ろうとする。この二人が直接話したら収拾がつかなくなる。
「いえ、大丈夫です」
 エメルダはそう言ってから携帯に向かった。
「こっちの事情が少しはわかったでしょう、この話はこれで終わりよ」
「しかし、でも…」
 セルダもあの乱暴者のランダスが電話先にいるのかと思うとビビってしまっている。
「ラルリア!!」
 突然、ランダスが電話が終わるのを待ちきれない様子で怒鳴り始めた。
「あの失礼なメイドはムチ打ちにする。しかも、お前のその手でムチ打て! お前に対するあの失礼な態度は絶対に許さん。いいか、ラルリア、お前は俺の妻だ、だからお前に対する侮辱は俺に対する侮辱だ、俺は侮辱されることが我慢ならん!」
「はい… ランダスさま……」
「いいか、メイドのムチ打ちを手加減することは許さん。背中が血だらけになって気を失うまでムチ打て! いいな!!」
「はい……」
「お前もお前だ、あんな失礼な態度に平気な顔をしてるとは… いいか、あんな場合は激怒しろ!! お前は俺の妻だって事を忘れるな!!」
「はい……」
 エメルダは本当に驚いてささやくような声で答えた。エメルダはランダスに怒られているのだと思って恐縮してランダスを見上げていたが、ランダスが眉を動かしながら何かを指さしている。指さしている方を見ると彼女が握っている携帯電話だ。そう、これはお芝居なのだ、電話を続けなければならない。
 エメルダはあわてて電話を持ち直した。
「もしもし、これで切るわね」
「ええ… それがいいわ」
 セルダも今の話にぼう然としている。
 電話を切ると、ランダスがニヤニヤしている。
「これだけ脅しておけば、もうお前に無理な事は言ってこんだろう」
「メイドをムチ打つって、本当のことなんですか?」
 ランダスは大声を上げて笑った。
「昔はあったらしいが、今はそんな事はせんよ。それに、お前はなかなか感がいい、俺の演技にぴったり合わせたお前はたいしたもんだよ」
「いえ……」
 謙遜して答えたが、内心はランダスが考えている事が手に取るようにわかったのは嬉しかった。





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