妖怪の妻になってしまった男(リメイク)

妖怪
 今井は名もない古びたお寺や神社をめぐるのが好きだった。
 今日も車をあてもなく走らせていた。
 山あいの細い道を進むと古い鳥居が見えてきた。鎮守があるのだろう。
 今井は車を駐め、鳥居につながる古い石段を登って行った。
 天気がよくて風が気持ちいい。石段を登りきると古い古い祠があった。苔むしていて、かなり痛んでいるが奇麗に掃除されている。
 今井はこんな場所が大好きだった。
 三方を山に囲まれていて、急な崖の途中に作られた祠だ。
 穏やかな日差しが木漏れ日を作っていて風にそよいでいる。

 周囲を少し歩いてみた。
 祠の横に大きな岩があった。人の背丈ほどもある岩が一つ圧倒的な存在感で置いてある。しかも岩の正面に白くて四角いものがひっついている。近くに行って良く見ると紙だ。紙が貼ってある。もう何年もそのままになっていたのだろうか、破れかかっていて薄汚れている。さらに良く見ると何か書いてある。もう薄くなっていてほとんど読めないが、太い文字で『封印』と書いてあった。
 この紙で妖怪でも封印してあるような雰囲気だ。ちょっと怖くなってしまう。
 この封印が破れたら妖怪が出てきてしまうなんて気持ち悪い。

 今井はしばらくその紙をみていた。紙は今にもちぎれそうになっていて一部が引っかかっている。今井は破れかかっている所を少し持ち上げて破れないようにしてあげようとした。が、その紙は今井の想像以上に痛んでいた。今井が触った途端、別の所が裂けて半分にちぎれて落ちてしまった。
「まずい……」
 そう思ったが後の祭りだった。
 まあ、それほど重要な史跡とも思えない、このまま知らないふりをして帰ってしまおう。そう思ってそこを立ち去ろうとした瞬間だった。
 いきなり岩が動いた。
 何トンもありそうな岩が今井の目の前で軽々と動いた。まるで張り子の岩のようだった。
 そして岩の下から何かが出てきた。手だ!!
 真っ白な人の手が岩の下から出てきた。なんで岩の下から人間の手なんかが、妖怪か何かなのか!!
 しかし、手の後から手の本体と思える気味の悪いものがずるずるっと出てきた。妖怪だ!!

 もう今井は夢中だった。車を止めた方向に向かって脱兎のごとく走り出した。が、後ろからいきなり何かに襟首をつかまれた。もう考えられないくらいの驚きだった。まさか、もうあの手が真後ろまで来ているのか。今井は悲鳴をあげて暴れ回った。しかし、襟首をつかむ手の力はものすごく強くどうにもならない。
「暴れるな!」
 後ろから女の声がした。あの手は女の手だったのか。振り向こうとしたが後ろ襟を捕まれているので振り向けない。
「悪いけど魂を食わせてもらうよ。死ぬほど腹が減っているからね」
 ドスの効いた怖い女の声だ。魂を食うって何の事だ。
「助けて!!」
 今井は悲鳴をあげて暴れ回った。
「暴れるなと言っているだろう」
 女はおもしろそうに笑う。
 暴れるなと言ったって、そんなの無理だろう。
 しかし、なぜか気が遠くなって来た。目の前が真っ白になってどこかボーとした感じになる。体の感覚がなくなってきてその場に崩れ落ちてしまった。
「そう、いい子だ。抵抗しない方がいい、その方が楽に死ねるよ。今、お前の魂を吸い取っているからね」
 薄れていく意識の底から女の声が聞こえてくる。
 死ぬって、今、魂を吸い取られているのか、これで死んでしまうのか、そんなバカな、妖怪に魂を食べられるなんて、そんな事があるわけない、死にたくない。
 今井は意識を奮い立たせた。薄れていく意識を必死で取り戻そうとした。
 しかし、なかなか簡単にはいかない。すぐにボーとなってしまう。
「暴れるな、おとなしくしろ」
 バカにしたような女の声がどこからともなく聞こえてくる。
 おとなしくしろと言われたって、殺されかかっているのにおとなしくなんか出来るわけがない。今井は必死で意識をはっきりさせようともがいた。
「無駄な抵抗さ、あたしはナキータ、魂を食う妖怪なんだよ」
 ナキータ! 妖怪! なんだそれは。魂を食われてたまるか。今井は必死で頑張った。すると少し意識がはっきりしてきた。
「暴れるな! あたしはこの穴に四年間も閉じ込められていたんだ。四年間飲まず食わずで頑張ったんだ。四年間命の火をともし続けてきたんだよ。生き延びるためにはお前の魂を食わなきゃならないんだ」
 生き延びるためって、そっちはそうだろうが、そのために殺されるなんてまっぴらだ。今井は必死で頑張った。
「暴れるなと言ってるだろう!!」
 女の声が聞こえてくるがどこかあわてているのがわかった。今井が思いのほか抵抗するからだ。今井はさらに頑張った。何としても女の手から抜け出してやる。
「いかん、いかん…… まずい、こっちが殺られる」
 あせっている女の声が聞こえる。今井が予想以上に強いかららしい。今井はもう一踏ん張りと思って頑張った。
「いかん、四年間で私は弱ってしまっている」
 女のつぶやくような声が聞こえる。なんとかなりそうだ。今井は思いっきり気持ちを奮い立たせた。
「いかん、こっちが殺られる…… わかった助けてやる。ともかくおとなしくしろ!」
 困ったような女の声が聞こえる。
 どうやら、この妖怪、あまり強くないらしい。しかし助けてくれると言っているが信用できない。こちらが抵抗を止めたらすぐに食われてしまう。
「ふざけるな!!」
 今井はそう叫ぶと、さらに意識に力を入れた。どんどん意識が戻ってくる。
「やめろ、わかった。もう何もしない。だから暴れるのを止めて!」
 女の声が悲痛な叫び声になってきた。本当に困っているらしい。
「だめだ!!」
 今井は必死で意識を集中した。体の感覚さえ戻ってきはじめた。
「やめて!! お願い、やめて、あたしが死んでしまう」
 死ぬ! かまうものか。絶対にここから抜け出してやる。
 今井は体の感覚に集中した。この感覚を取り戻せば。この妖怪の魔の手から抜けだせそうに思えた。
「やめて〜〜〜」
 妖怪の悲鳴が響いたと思ったら、ふっと、元の感覚に戻った。意識もはっきりしているし、体の感覚のある。
「助かった……」
 妖怪に勝ったらしい。
 体の感覚が戻り、目も見えるようになった。
「勝った!」
 ちょっと感動的だった。妖怪と戦って勝ったのだ。握った手が興奮で震えている。
 今井は周囲を見回した。さっきの場所に立っている。あの妖怪に捕まった場所だ。あの妖怪はどうなったんだろうと思って足元を見た。と、足元に誰か倒れている。どこかで見た事がある男だ。
 俺だ!!!!!
 なんと自分が足元に倒れている。
 今井は息が止まるほどに驚いた。なぜだ! なぜだ!! こうして妖怪に勝ったはずなのに、なぜ俺が倒れているんだ。
 今井は夢中で自分のからだの横にしゃがみ込んだ。そして自分のからだをさわった。が、さわるために伸ばされた手は真っ白な細い手だった。俺の手じゃない。
 今井はあわてて自分自身を見てみた。不思議な着物のようなものを着ている、真っ赤なけばけばしいがらの着物だ。下を向いたので髪の毛が前にたれてきた。胸のあたりまである茶色の髪の毛だ。自分の髪の毛じゃない!!
 今井はあわてて自分自身のからだをさわってみた。
 触っている感触は普通に感じる。そして胸の所をさわるとやわらかい何かをつかんでしまった。おっぱいだ。女になっている!!
 からだが入れ替わってる!!
 そう考えるしかなかった。
 あの妖怪のからだに乗り移っているのか…… そんなバカな!

 今井はうろうろと倒れている自分のからだのまわりを歩いていた。
 どう考えてもあの妖怪のからだに乗り移っているとしか考えようがなかった。しかし、なぜ?
 あの時、あの妖怪に魂を吸い取られたから今井の魂はあの妖怪のからだの中にあったのだ。そしてそのままあの妖怪と戦ってあの妖怪を殺してしまったから、あの妖怪のからだにいたままになっている。そうとしか考えられなかった。
 でも、そんなことがあるのか。そんな魔法みたいなことが……
 元の自分はどうなったんだろう、死んだのか?
 今井は急に不安になって倒れている自分のからだの横にしゃがみ込むと、息をしているか確認してみた。口元に当てた手に呼吸の風を感じた。
 よかった、生きている。死んだわけじゃない。
 でも、どうすればいいのか見当もつかない。元のからだに魂を戻せばいいのだろうがどうやればそんな事ができるのだ。そもそも魂っていったいどんなものなんだ。
 今井は頭を抱えた。どうすればいいのかまったく分からない。
 今井はしばらく倒れた自分のからだの横にすわっていたが、どうにもならなかった。最終的に思いついたアイデアは極々普通の方法だった。結局、救急車を呼ぶことにした。

 自分のからだから携帯を取り出すと救急車を手配した。十分くらいで到着すると言う。
 今井は自分のからだの横にぼんやりとすわっていた。
 これからどうすればいいんだろう。この恰好じゃ会社にも行けない。これからどうやって生活していけばいいんだろう?
 しかし、それよりなりより、自分がどんな恰好なのか知りたくなった。救急車が来るのにおばけのような恰好では救急車の隊員が逃げ出してしまう。
 今井は石段を降りると自分の車の所に行った。そしてサイドミラーに自分を写してみた。
 そこにはかわいい女の子が写っていた。茶色の髪を肩までのばし、あどけない目がかわいい。うっとりするようなかわいさだ。これが自分。どこか楽しくなってしまう。あの妖怪、こんなにかわいい妖怪だったのか。
 しばらく自分の姿に見とれていた。人間とは少しだけ違う顔の形が不思議な魅力を引き出している。

 遠くで救急車のサイレンの音が聞こえてきて現実に引き戻された。救急車が来る前にこのからだで生活できるようにしておかなければならない。
 今井はあわてて倒れている自分のからだの所に戻ると財布や車のキー、アパートの鍵などを取り出した。これがないと自宅に戻ることすらできなくなってしまう。

 救急車の隊員には恋人だと説明した。いきなり倒れて意識がなくなったと嘘の説明もした。本当の事を言っても信じてもらえないのは明らかだった。
 今井は自分のからだを乗せて走り去って行く救急車を見送っていた。
 まあ、貯金も少しはあるから当面は生活できるだろう。仕事の見当もついていた。このかわいさなら水商売か、まあ、なんとかなるだろう。
 ふと見るとさっきの岩の下に穴があるのが見えた。あの穴から妖怪が出てきたのだ。ちょっと怖かったが中を覗いてみたかった。なにか手がかりがあるかもしれない。
 中は二メートル四方くらいの大きさの穴で、高さは一メートルくらいしかない。だから立ち上がる事ができない。あの妖怪、こんなところに四年間も閉じ込められていたなんて少し気の毒になった。
 しかし、穴の中には何もなかった。
 周囲を歩き回ったが手がかりになるような物は何もなかった。

「ナキータ」
 ふいに上から声が聞こえた。
 思わず上を見た。上空に何か黒いものが浮かんでいる。人のかたちに見えた。
「ナキータ」
 もう一度声が聞こえた。上空の黒いものから聞こえてくる。
 黒いものはどんどん降りてくる。降りてくるにつれてかたちがはっきりとわかった。それは人間だった。間違いなく人間の男だ、男が空を飛んでいる。
 その男は今井の目の前に降りてきた。もう何があっても驚かないが、やはりビックリして数歩下がった。
「ナキータ、封印を破ったのか」
 その男はうれしそうに叫ぶ。
「よかった!!」
 今井はいきなりその男にガシッと抱きしめられてしまった。
 ナキータって誰だ。確かこの妖怪の名前だ。そう、あの時ナキータと名乗っていた。じゃあ、この男はこの妖怪女の知り合いか。
「俺、毎日、ここに来ていたんだ」
 男は本当にうれしそうだ、泣いているようにさえ見えた。
「ナキータ、よかった、よかった、本当によかった」
 男は今井の手をしっかりと握りしめた。
「でも、どうやって封印を破ったんだ」
 男が聞く。今井はポカンとしながらも破れた紙を見た。
「そうか、自然に破れたのか、でも、よかった」
 男はもう一度今井を抱きしめた。
 今井はどうすることもできず、その男に抱かれるままにじっと立っていた。
「四年間、辛かっただろう。よく頑張った。もう死んでいるかと思っていたよ」
 男の目に涙が浮かんでいるのが見えた。
「もう、無理だと思っていた。こんなに頑張るなんて、本当に君はすごい」
 男は今井の手をしっかりとつかんで離さない。
「ナキータ!!」
 男はひしっと今井を抱きしめた。そして今井の髪の中に顔をうずめる。
「よかった。ナキータ」
 どうやら、この男はナキータの恋人かなにからしい。今井が乗り移っているナキータを元のナキータだと思っている。
「ナキータ」
 男はいきなりキスをしてきた。今井はどうすることもできずそのままキスを受けてしまった。男にキスされるなんて気持ち悪い。
 しかし、無感情なナキータを見て男の表情が変わった。
「どうしたんだ?」
 やっと気付いてくれたらしい、ともかく俺はナキータじゃないと説明しなければ。
 今井はどう説明したものかと考えていたが、次第に恐ろしくなってきた。俺がナキータじゃない事を説明するためにはナキータは死んだと説明しなければならない、しかも殺したのは俺だ。そんな事をこの男に言ったらいったいどうなる。確実に殺されてしまう。
 今井はじっと立ったまま何も言えなかった。
「どうしたんだよ、俺だよ」
 彼はナキータの肩をゆする。しかし、今井はじっと立ったままだった。
「俺のこと、覚えていないのか?」
 今井は思わずうなづいた。
「覚えていない、わすれたのか?」
 もう一度うなづく。これがいい、記憶を失ったことにしよう。もうほかにいい方法を思いつかなかった。ともかくこれでやり過ごすのだ。
「何を覚えている?」
「何も思い出せない」
 今井は小さな声で答えた。
「記憶をなくしたのか」
 彼はびっくりしたようにナキータの目を見ている。
「俺の事とか、家の事とか何か覚えているか?」
「なにも覚えていない……」
 今井はわざと力なく答えた。記憶を失った演技をしなくては。
 彼はナキータの髪をなでた。
「そうだよな、四年間も封じ込められていたんだもんな、辛かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺がついてる、何も心配しなくていい」
 彼はナキータを力一杯抱きしめた。今井は抱きしめられながらも緊張でコチコチになっていた。
「閉じ込められている間に記憶をなくしたんだ。辛かったよな」
 彼はやさしそうな目でナキータを見つめる。
「でも、もう心配いらない。家に帰れば記憶も元に戻るよ」
 男はやさしくナキータの手をつかんだ。
「さあ、帰ろう」
 彼はナキータの手をつかんで飛ぼうとした。手を引っ張られて、今井は少し浮き上がったが手がすべってどすんと落ちてひっくり返ってしまった。
 彼はあわてて、ナキータの横に降りてきた。
「どうして飛ばないんだよ」
「私、飛べるんですか?」
 驚きだった。空が飛べると言うのか。
「そうか、飛び方も覚えていないのか」
 彼は納得したように頷くと、いきなりナキータを抱き上げた。そしてそのまま飛び上がった。
 どんどん高く登っていく。目も眩むような高さになってきたが男が軽く抱いているだけで何の囲いもない。落ちそうで怖いので思わずその男にしがみついてしまった。ナキータがしがみついているので男はうれしそうだ。
 そして、どこかに向かってどんどん飛んでいく。この妖怪男にどこかに連れて行かれてしまう。彼が去ってしまうまでの辛抱だと思っていたが、とんでもないことになってしまった。
「君に会いたかった、毎日、君の所に行っていたんだよ」
 男はしゃべりはじめたが風の音でよく聞こえないから返事しなくても不自然ではなかった。
 この男は誰なのか、どこへ連れていくつもりなのだろう。今井は元のからだに戻るどころか逃げることもできないような所へ連れていかれつつあった。







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