妖怪の妻になってしまった男(リメイク)

お出迎え
 午後は今井は一人でのんびりと時間を過ごしていた。妖怪世界にいてももう恐怖心はなかった。状況がわかってきて自分の居場所を作る事ができたし、ミスをしないように注意して、人間だとばれいようにすればなんとかなりそうだった。しかし、それにはゾージャだけが頼りだった。ともかくゾージャに気に入られるしかない。
 今井は鏡の前に立ってみた、着物がよく似合っていて惚れ惚れするほどかわいい。今着ている着物はゾージャが誕生日に買ってくれたとかいうやつだ、今井はゾージャが帰ってきたらこの着物で出迎えるつもりだった。これを見ればゾージャが喜ぶだろう。
 少し腰をひねってみた。ポーズを作ったナキータはちょっと挑発的なところがあって絞め殺したくなるほどかわいい。これなら、ゾージャがメロメロになってしまうのは確実だった。まあ、絞め殺されたら困るが……

 暇つぶしに廊下に出てみた。一階の方でなにやら話声がしている、が、その声に混じってゾージャの声が聞こえてきた。
しまったと思った、ゾージャが帰ってきているのだ。そうかもしれない、朝が早いのだから帰りが早い可能性は充分にある。今井はなんとなくゾージャは暗くならないと帰って来ないと思い込んでいたのだ。ここは日本じゃないんだから殺人的な長時間労働なんてないのかもしれない、暗くなるまで帰れないなんてあれは日本だけの話なのだ。
 今井は廊下を走り出した。ゾージャを玄関で出迎えたかったのだが、しかし、もう帰ってきてしまっている。ゾージャの帰りの予定を聞いておかなかった自分が悪いのだ。また、ミスをしてしまった。いい妻になるなんてこれでは心もとない。
 あわって下の階へ通じる扉を空けた。下にはゾージャの頭が見える、今井はそのまま宙へ飛び出した。そしてスーっと一階に降りる。下に降りると、ゾージャがミリーと話をしている所だった。
 今井はあらん限りの笑顔を作った。
「お帰りなさい」
 ゾージャがナキータの方を振り向いた。
「ただいま」
 彼は軽くそう答えるとまたミリーと話し始めた。
 今井はちょっとあわててしまった、思ったとおりにいかないものだ。今井は自分が着ている着物を見た、こんなにかわいいのに。
「お疲れさまです」
 もう一度声をかけてみた。
 しかし、ゾージャはこっちを振り向きもしない、ちょっとむかついてきた。
 そうっとゾージャの背後に歩み寄ると、ゾージャの背中をつついてみた。
「なに?」
 ゾージャが振り向く。
「これ、どう思う?」
 ちょっと袖を動かしてみせた。
「なにが?」
 ゾージャが冷たく聞く。
 今井は絶句してしまった。ゾージャにそう言われてしまっては、もう何も言えない。
「なに?」
 ゾージャがもう一度聞く。
「べつに……」
「そう…」
 そう言うとゾージャはまたミリーと話始めた。
 今井は自分に腹がたってきた。俺は何をやっているんだ、これじゃまるで女じゃないか、ゾージャにそんなにほめられたいのか、自分がかわいい所を見せたいなんて俺はどうかしている。あくまでもこれはゾージャに気に入られるための演技であって、本気になってどうする。
「ナキータさま、着替えはどうされます?」
 いきなりミリーが質問してきた。着替えってなんのことだ。
 ゾージャはまだミリーに話があったらしく、突然話題を変えたミリーにビックリしている。
「どちらの着物がよろしゅうございますか?」
 ミリーが聞くが意味がわからない。
「今の着物もお似合いになっていると思いますが」
 今井は自分が着ている着物を見た。と、はっと気がついた。ミリーが気をきかせてゾージャが着物に気がつくようにしてくれているのだ。
「これがいいと思うわ、似合ってるでしょ」
 今井はちょっとしなを作って答えた。ミリーって本当に気がきく人なんだ。
 しかし、肝心のゾージャが分からないらしい。ゾージャは不思議そうな顔をしてナキータを見ていたが二人の用件が終わったらしいと思うとまたミリーに話しかける。
「ゾージャさま、ナキータさまの着物をどう思われます?」
 いよいよミリーが露骨にゾージャに聞く。
 ちょっとビックリしてゾージャがナキータを見た。
「ああ、あれでいいと思うよ」
 ゾージャは今の二人の話をそのままの意味で受け取っているのだ。
「いえ、だから……」
 ミリーがイラついてきて言葉にならなくなってきている、ゾージャはこういう感性がまるでないのだ。今井はそんなミリーにもういいと言う意味で軽く手を振った。
 俺がバカなのだ、なにをアホな事をやっている。女じゃないんだからかわいいと言ってもらわなくても傷ついたりしない。
 今井はゾージャを後にして玄関の方に向かって歩き始めた。これはゾージャに気に入ってもらうための演技なのだ。だからゾージャの用件が終わるまで待てばいいだけだ。ゆっくり話ができればこの着物を喜んでくれるだろう。

 しかし、玄関の所に一人の男が立っているに気がついた。なんと、あのマドラードだ。今井は息が止まるほど驚いた。なんでここにマドラードがいるのだ。ナキータを追ってこんな所までやってきたのか!!
 マドラードは軽く会釈する。
 今井はどう対応したらいいか分からなかった。こんな所にいたらゾージャに見つかってしまう。
「記憶を失ってるんだってね」
 マドラードが小さな声で話しかけてきた。
「だから、俺がわからなかったんだ。そうとは知らず、さっきはひどい事をしてしまった。謝るよ」
 今井はなんと答えたらいいか分からなくて黙って立っていた。
 マドラードはナキータの反応を探るようにじっとナキータを見つめている。
「俺は、マドラード。君とは恋仲なんだ」
 真剣な口調だった。そしてマドラードが一歩ナキータに近づく、今井は思わず一歩下がってしまった。
 ナキータが警戒していると分かってマドラードは困ったように考えている。
「今朝はすまなかった。君に記憶がないなんて思わないから、つい普段のようにやってしまったんだ。悪かったと思ってる」
 さらに一歩近づく、今井はさらに一歩下がった。
「あんな事をして悪かった。君とは恋仲なんだ、君を愛してる」
 マドラードはじっとナキータを見つめているが、今井はこの事態をどう理解していいか分からなかった。なぜ、マドラードがここにいるのだ、ゾージャに見つかってしまうのに。
「マドラード、こいよ」
 ふいに後ろからゾージャの声がした。
 その声でマドラードがゾージャの方を見た。そして、さっと仮面のような笑顔を浮かべると当たり前のように家の中に入って行く。今井はそんなマドラードをポカンと見つめていた。マドラードってゾージャと知り合いなのか、たぶん、ゾージャが連れてきたのだ。
「ナキータ、マドラードは覚えてる?」
 いきなりゾージャに聞かれた。今井は緊張して首を振った。
「な、記憶がないんだ」
 ゾージャがマドラードに話しかけている。ゾージャとマドラードはかなり親しいらしい。
「マドラードは飛龍隊の隊長…… つまり俺の同僚だ」
 ゾージャが簡単に紹介してくれる。なんとなく意味がわかった。領主のゴルガは部下を十隊に分けているから飛龍隊とはたぶんその中の一つだ。じゃあ、ナキータは夫の同僚と浮気しているのか。
「よろしくお願いします」
 今井は緊張した声で挨拶した。
「無事に戻ってこられておめでとうございます。よく頑張られたと思います」
 マドラードが儀礼的な挨拶をする。つまり、二人は今、始めて会ったことになっているのだ。
「マドラードとは親友なんだ。よくうちに遊びにくる」
 ゾージャが機嫌良く説明してくれる。じゃあ、もっとひどい話だ。ナキータは夫の親友と浮気しているのか。マドラードが意味ありげにナキータにうなずいてみせる。今井は固くなってそれを無視した。
「今日はめしを食ってけよ」
 ゾージャがマドラードを誘う、それからナキータの方を見た。
「お前も一緒にな」
 一緒って、マドラードとゾージャと三人で食事をするってことか!! 無理だ、どんな風にすればいいのだ、どんな話をすればいいのだ、あまりにも演技が難しすぎる。どんな顔をすればいいのかさえわからない。今井は返事に困ってしまった。
「な、いいだろう」
 ゾージャがもう一度念を押す。断りたかったが、しかし、断るのもまずい、変に疑われるかもしれない。
 今井が苦慮していると、不意にマドラードがゾージャを遮った。
「すまんが俺、今日は早く帰らなきゃいけないんだ」
「ええっ」
 ゾージャが驚いている。
「食ってけよ、ナキータが戻ってきたお祝いだ。少しくらいいいだろう」
「いやあ、それがな……」
 すぐにマドラードの態度の意味がわかった。ナキータが一緒に食事をするのを嫌がっているのを察してくれているのだ。
「すまん、道場を見せてもらったらすぐ帰るよ」
 マドラードはすまなそうに言う、それからナキータを見た。
「ナキータさん、お祝いはまた別の日ということで」
「ええ」
 今井は救いの神とそれに応じた。やはり一緒に食事は無理だった。
「準備は出来てる。食ってけよ」
 それでもゾージャはマドラードを食事に誘う。
 ゾージャはかなりしつこくマドラードを誘ったがマドラードは頑として断り続けた。結局ゾージャも納得したようだった。
「そうかあ、残念だな……」
 ゾージャは本当に残念そうだった。
「じゃあ、道場に行こうか」
 マドラードは話題を変えようとしてゾージャを道場へ誘っている。ゾージャもしぶしぶマドラードについて行く。と、不意にマドラードが振り向いた。
「そうだ、ナキータさん、その着物すごく似合ってますよ。今まで見たこともないくらい綺麗だ」
 思わず笑顔が出てしまった。やはり綺麗だと言われるとうれしい。
 今井はそのまま笑顔で道場の方に行く二人を見送っていた。
「やはり、マドラードさまのほうがいいですね」
 横にいたミリーが独り言のように言う。
「ゾージャさまはなんなんですか、あそこまで言っても気がつかないなんて、とんでもないバカです」
 今井もうなずいた。ゾージャって気が利かない奴らしい。





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