妖怪の妻になってしまった男(リメイク)

妖気

 今井は自分の部屋に戻ってきた。ミリーはいなかった。
 椅子に座ってほっと一息ついた。これでいつでもここを逃げることができる。今すぐにだって携帯や鍵を持って人間界に逃げ帰ることができるのだ、鍵があれば自分のアパートで生活すればいい、ナキータの姿のままでも当分は困らない。
 しかし、考え始めると問題はそんなに簡単ではなかった。
 ここを逃げ出せばゾージャが追いかけてくるだろう、ナキータがいなくなったのにゾージャが捜さない訳がない。ヌランダに聞けば人間界に行ったことは分かってしまう。妖怪には妖気があるらしいからどこに逃げても見つかってしまうだろう。そしてナキータが死んでいることがわかれば殺される。
 つまり事態は何も変わっていないのだ。ナキータが死んでいることをどうしても隠さないといけない、でも、それだと俺は一生ナキータをやらないといけないのか。
 今井は一時の興奮が納まるとむしろぐったりとしてしまった。ここから逃げ出しても無意味だということがわかったからだ。
 今井は立ち上がって部屋の中をうろうろと歩き始めた。何かいい方法はないかと考えた。しかし、何も思いつかない。妖怪世界にいる事が問題なのではなくてナキータのからだを乗っ取ってしまった事が問題なのだ。だから人間界に逃げても何も解決しない。もうしばらくここにいるしかなさそうだった。しかし、まあ、ここにいれば何不自由ない生活ができる。それで満足するしかなかった。


 お昼の準備をミリーがしてくれている、今井は椅子に座ってじっと待っているだけだった。やはりここの方がいいかもしれない、人間界だったら自分でしなければならないのだ。
「ヌランダって知ってる」
 暇だったのでちょうど話題にいいと思って聞いてみた。もちろん人間界に連れていってもらった事は言うつもりはない。
「ええ、お会いになったんですか?」
 ミリーが興味を引かれたようにナキータを見る。
「マドラードの恋人なの?」
「まさか」
 ミリーは笑った。
「ヌランダは私と同じ端妖怪です、マドラードさまが相手にするはずがありません」
「あたしに、手を出すなと言っていたけど」
「まあ」
 ミリーが目をみはった。
「もちろん、ヌランダをぶっ飛ばしましたよね」
 ミリーが当然でしょうというように聞く、しかし、今井は軽く首を振った。
「まさか、端妖怪がそのような無礼な事を言った時は厳しくお仕置きをすべきです。そうです、先ほどお教えしていなかったのが悪かったのです、すぐにぶっ飛ばし方をお教えします」
 ミリーは憤慨している。どうやら、ここは上下関係が非常に厳しいらしい。
「でも、ヌランダは私も端妖怪と思っているらしかったわ」
 ヌランダがナキータの飛ぶ速度が自分と同じくらいだと考えていたことを思い出した。だから、ヌランダに悪気はなかったのだと言いたかった。
「それでどうされたんですか?」
「どうって、そのままよ」
 ミリーが大きく息を吸い込んだ。
「なぜ、格が違うというところをお見せにならなかったんですか」
 ミリーの顔は怒りで赤くなっている。今井が考えている以上に格の違いは重要な事らしい。
「大人げないかな、と思って……」
「そんなバカな。ナキータさま、こんな馬鹿げた話はありません。ヌランダごときに端妖怪と思われたままほおっておかれるなんて、馬鹿げてます。格が違うというところを見せつけてやるべきでした。だって、そうでしょう。ナキータさまがヌランダと同格ならナキータさまに仕えている私はどうなるのです」
 ミリーはカンカンに怒っている。ちょっとまずかったようだ。
「ヌランダはマドラードが大好きみたいだったけど、マドラードもヌランダを好きだという可能性はないの?」
 話をちょっとそらしてみた。
「あり得ません」
 ミリーがきっぱりと断言する。
「私だって、そんな夢を見たことはあります。強い妖怪に恋されてその方の妻になる。妻になれば下僕に仕えてもらって何不自由のない生活ができる。でしょ」
 ミリーは同意しろとでも言うようにナキータを見る。
「でも、顔と相談してきっぱりあきらめました。あり得ないことです。まあ、ナキータさまぐらいの容姿があれば別ですけど」
 今井は軽く手を振った。私はそんな美人じゃないと言う意味のつもりだったが、ナキータは俺じゃないんだから俺が謙遜するのも変だ。
「あ、もちろん、ナキータさまは玉の輿で今の立場にいらっしゃるわけではありません。ナキータさまご自身が強い妖怪です」
 あわててミリーが補足した。たぶん、ヌランダはナキータの容姿からナキータは玉の輿なんだと思ったのかもしれない。
 今井には、もう一つ気になることがあった。
「ヌランダは私の妖気がプンプン臭うと言っていたわ。どういう事?」
「ああ」
 ミリーはかすかに頷く。
「少し、隠した方がよろしいかと存じます」
「つまり、私は妖気をまき散らしているってことね?」
「そうです、妖気の隠し方もお教えしますね」
 どうやら、妖怪ならではのエチケットがあるらしい。
「この妖気はどのくらいの距離からわかるものなの?」
 さっきから一番気になっていた事を聞いた。人間界に逃げた時、発見される危険がどの程度あるものだろう。
「妖怪の能力によって全然ちがいますが、今のままなら私でも一超くらい先からわかります」
「一超?」
 また、単位がわからない。しかし、ヌランダはズザヌーク家までが十超と言っていたからかなりの距離ではある。
「妖気を隠したら、居場所がわからなくなるの?」
「いえ、それは無理です。どうしても妖気は残るものです。強い妖怪には妖気を隠してもわかってしまいます」
 なるほど、やはり逃げても見つかってしまうのだ。
 しかし、ふと思いついた。
「ゾージャが帰って来た時、ゾージャの妖気で帰って来た事がわかるものなの?」
「わかりますよ、だからすぐにお迎えに出るんです」
 そういう仕組みになっていたのだ。だったら、ゾージャの妖気を感じることが出来ないと出迎えにも出られない。きのう気が付かなかったのはこれが原因なのだ。
「妖気の感じ方を教えて、もちろん、妖気の隠し方もね」
 逃げる計画は当分実行しないつもりだったが、それでも隠し方を習っていた方がいいと思った。


 今井は昼食後は一人で自分の部屋にいた。
 あれからミリーに妖術を教わって、妖気を消したり感じたりが出来るようになっていた。妖気とはまさに匂いのようなものだった。妖怪はそれぞれ独自の妖気を持っていてその妖気を発散させている、だから妖気で誰が近くにいるのかがわかるのだ。ただ妖気は距離が遠くまで届く分、逆に正確な場所はわからなかった。
 今井は時々自分の妖気を感じてそれを抑える練習をしていた。ちょうど自分のからだを臭ってみて自分に匂いがないかを気にするのと同じ感覚だ。匂いをプンプンさせているのはやはりみっともない。妖気の事がわかると気になって仕方がなかった。

 時計がお昼の二時を回った頃、今までに感じなかった妖気を感じた、しかも一人じゃない、それがどんどん強くなる。誰かがこちらに来ているのだ。
 窓から外を見ると大勢の男たちがこちらに向かって飛んで来ている、先頭にゾージャがいるのが見えた。たぶん、ゾージャの家臣達だ。これからここで仕事の打ち合わせがあるのだ。
 さあ、ゾージャに指示された通り家臣達を出迎えなければならないが、ここの習慣や作法を知らないからどうやったらいいのかまるでわからない。それでも出迎えに行くしかなかった。
 今井は鏡の前に立って簡単に髪を直すと下の広間に向かった。
 広間に行くのが少し早すぎたのか、家臣たちが玄関から入ってくるまでにしばらく間があった。今井は広間にじっと立って家臣達が入ってくるのを待っていた。かなり緊張する。
 やがて玄関の扉が開いて大勢の男たちが入って来た。彼らはからだが大きくて厳つい恰好をしている、顔も怖い。まさに妖怪だ。
 彼らはすぐにナキータがいるのを見つけた。そして早足でナキータの方に歩いてくる。しかし、ものすごく怖い顔の妖怪が大勢押し寄せて来るのだから、今井は思わず数歩後ろに下がってしまった。
「ナキータさま、よくご無事で」
「本当に大変だっただろうとお察しいたします」
「ナキータさま、よく頑張られました」
 ナキータのところに来ると彼らは次々とねぎらいの言葉をかけてくれる、怖い顔のわりに心は優しいらしい。
 さあ、何か答えなければならない。
「ありがとう」
 なぜか、この言葉が自然と出てきた。俺はナキータじゃないのにうれしかった。
「ナキータさまが戻ってみえて本当によかった」
「大変なご苦労だったと思います。よく耐えられました」
「もう、死んでおられるかと思って本当に心配しました」
 みんなが口々にやさしい言葉をかけてくれる。ナキータは家臣達にそうとう慕われていたらしい。
「記憶をなくされているそうで、おいたわしい限りです」
 誰かがそう言うとみんなが急に静になった。本当に気の毒そうにナキータを見ている。
「そうなんです、だから、皆さんが誰が誰やらぜんぜん分からないんです」
 ともかく、早めに断っておいた。これだけ親しくしてくれるのに名前が分からないので変に思われたら困る。
「気にする事はありませんよ、適当に好きな名前で呼んどいて下さい」
 今井は思わずわらった。
「そのうち覚えますから」
 この家臣達なら、親しくなれそうだった。
 しかし、一人が真面目な顔をして前に進み出た。
「堤の工事が遅れています。雨期になる前に仕上げないとまずいです」
 小さな声で内緒話のように話す。
「ナキータさまが戻って見えて本当に助かりました。すぐに、資材の手配をしなければなりません」
 横にいた男がその言葉を引き継いだ。
 今井は意味がわからずただその男を見返すばかりだった。なぜ、そんな事をナキータに言うのだ。しかも、秘密の話のようにして。そんな事はゾージャに言えばいい事じゃないのか。
「後で、ご相談に上がります」
 彼は、ここでは話が出来ない、とでも言うようにナキータにささやく。そして、これで一安心と思ったのか後ろに下がった。家臣達の後ろには少し離れてゾージャが立っている。ゾージャに聞かれるとまずいのか。
 この妙な仕事の話になったので急に家臣達は静になった。静になったので話が終わったらしいと思ったのか、ゾージャが正面に進み出てきた。そして家臣達の方を振り返った。
「みんな、心配かけたがナキータが無事戻ってきた、これもみんなのおかげだ、感謝している。ナキータは記憶を失っていてまったく何にも分からなくなっているから、しばらくは今まで通りとはいかない、失礼なこともあるだろうが大目に見てやってくれ」
 ゾージャが簡単な挨拶をする、ナキータの事をかばってくれたのがうれしかった。
 それから、簡単に全員紹介してくれた。全員で二十一人いる、名前を覚えるのが大変だったが半分くらいは覚えた。
「では、行こうか」
 ゾージャが声をかけると、家臣たちが道場の方に向かって歩き始めた。今井はほっとした気持ちでそれを見送っていた。これで俺の出番は終わりだ。たぶん、次の出番は家臣達が帰る時の見送りだ。それまでのんびりしていればいい。
 家臣達は道場の方に行ってしまった、さあ、部屋にでも戻ろうかと思って振り向くと、下僕が全員ナキータの後ろに立っていた。下僕達もゾージャを出迎えに出てきていたのだ。
 ゾージャは行ってしまって、もうここにいる必要はなくなったのに彼らはナキータを見てじっと立っている。今井はみんなが立っている理由がわからず、みんなに合わせて立っていた。しばらく意味もなく立っていたが、ふと、思い当たった。ここでは俺が一番偉いのだ。だからみんなナキータが動くのを待っているのだ。
 今井は解散と言うように手を振ると自分の部屋に向かって歩き始めた。




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