妖怪の妻になってしまった男(リメイク)

自分のからだ

 次の日、今井は前日と同じようにゾージャを見送った。そして何もかもが終わってミリーは部屋から出て行き、やっと一人になれた。
 今井はこの時を今か今かと待っていた。ミリーが部屋を出ていくとすぐにスマホや財布、鍵などを取り出した。自分のからだがどうなったか確認したかったのだ。あの救急車で運ばれてからどこに行ったのか、どうなったのか、まだ生きているのか、まったく分からないのだ。人間界に行けるようになったのだから、まず自分のからだがどうなったのか確認しておくのは当然だと思った。確かに人間界に逃げても意味がないことはわかっていたが、自分のからだが無事なのかどこに居るのかは確かめておきたかった。
 今井はテラスに出ると朝もやの冷たい空気の中に飛び出した。
 どんどん速度を上げて、まっすぐ人間界への入り口へ向かう。誰かが見ていたら人間界に向かったことは一目瞭然になるが気にしなかった。それに妖気が消えるからナキータが出かけたことが分かってしまうので、ミリーには朝の散歩に行くと言ってあった。
 目印の岩の真上を飛ぶ、何度かやり直さなければならないだろうと考えていたが一発で景色が変わった。見事、一回で入り口を通り抜けたのだ。ちょっと驚いたが、考えると理由がわかってきた。遠くからまっすぐに岩を狙って飛んでくる方が正確に岩の真上を通ることが出来るのだ。きのうは川の上を飛びながら川の真上を探したのでかえって分かりにくかったのだ。
 人間界に入るとちょっと緊張する。他人の世界に侵入したような感覚になった。本来、俺は人間のはずなのに、不思議だった。たぶん、法力使いが怖いのだ。中身は人間でも今は妖怪なのだから法力使いに襲われる危険がある。今井は自分の妖気を可能な限り消した。たぶん、法力使いが妖怪を見つけるのには妖気を手がかりにしているはずだ。
 次にスマホの電源を入れた。そして、あの救急車の隊員に教えてもらっていた問い合わせの番号に電話すると、すぐに自分のからだが運ばれた病院がわかった。スマホの地図アプリで病院の場所を確認する。
 スマホを片手に持ちながら飛び始めた。GPSに自分の位置が出ているのでそれを参考にして道路など無関係に病院に向かって真っ直ぐに飛ぶ。妖怪がGPSを使って空を飛ぶなんて、と思うとおもしろかった。
 病院の真上に着くと、人気のない場所に降りた。
 裏口から病院の中に入った。遠くに人の姿を見るとなぜか緊張する、思わず廊下にある窓に目が行った。いざとなったら窓を破って外に逃げ出せばいい。やはり法力使いが怖い。
 廊下を歩いて受付を探す。どこかから美味しそうないい匂いが漂って来た。病院食にしては美味しそうな匂いだ。人とすれ違ったがいい匂いがぷうんと漂って来た。今井は思わず振り返ってすれ違った人を見た。なんであの人からこんな匂いが漂ってくるのだ。
 さらに人混みに入ったがそこは美味しそうな強烈な匂いに包まれていた。近くに厨房があるとも思えない、なぜ、こんな場所にこんな匂いが漂っているのだ。
 人混みを抜けると匂いは弱くなる。やがて受付に着くと一人の女性の後ろに並んだが、その女性からも美味しそうなえも言われぬ匂いがする。
 今井ははっとした。これは人間の魂の匂いなのだ。ナキータは人間の魂を食べる妖怪。だから、人間の魂から美味しそうな匂いがするのだ。
 今井は自分が怖くなったが、いい匂いがしても魂を食べたくなるわけではない。魂を食べなければいいだけだ。それに魂の食べ方を知らない。
 受付の順番が来ると、自分が入院している病室を尋ねた。簡単には分からないだろうと思っていたが、あっけないくらい簡単に病室を教えてくれた。
 病室は四階だったがエレベータは使わなかった。エレベータの箱の中に入ったら逃げようがない。久しぶりに階段を登ったが自分の足で登るのも楽しかった。周囲は人間の匂いが充満していたがもう匂いは気にしないことにした。
 受付で教えてもらった病室が近づくとちょっとドキドキする。これから自分と対面するのだ。どんな様子だろう。
 病室に入った。病室にはベットが二つ置いてあって、手前のベットには老人が座っていた。緊張しながら奥のベットに向かう。奥のベットには自分が眠っていた。目をつぶって、鼻にはチューブが差し込まれて、じっと横たわっている。
 今井はしばらく自分に見とれた。どうやら、特に異常はないようだ。ただ眠っているだけのように見える。軽く呼吸もしている。今井はベットの横に置いてあった丸椅子に腰を下ろした。そして自分をじっと見つめた。少し布団がはだけていたので布団を首の所まで引き上げてやった。
 たぶん、今ここで、ナキータの身体から自分の身体へ魂を移せば、自分は目を覚ますのだろうと思ったが、どうやればいいのかまったく分からない。
 ふと気になって窓を見た。窓は閉まっているが、ゾージャに教えてもらった雷神を使えば窓ガラスは簡単に吹っ飛ぶだろうからその穴から逃げ出せばいい。法力使いがよほど怖いのか逃げる事ばかりが頭に浮かんでしまう。
「あんた、その人の彼女?」
 不意に隣のベットにいた老人が声をかけてきた。ナキータはものすごい美人なのでちょっと色気のあるじじいなら声をかけたくなる気持ちもわかる。
 今井は笑顔で頷いた。
「外国の人? 日本語はわかる?」
 さらに聞いてくる。
「ええ、でも、日本語はわかります」
 とりあえず、そう答えた。ナキータの顔は日本人の顔じゃないから外国人ということにしておいた。
「その服、民族衣装なの?」
 今井は自分の服を見た。確かにこの服ではここでは目立ってしまう。
「そうです」
 にっこり笑って頷いた。
「いいな、その人。あんたみたいな美人の恋人がいて」
 老人は嬉しそうに話しかけてくる。
「でも、心配です」
 むげに無視する訳にもいかないので、まあ、話に合わせてあげた。
「そうじゃなあ」
 老人もうなずく。
「このまま、目が覚めないんじゃないかと思うと……」
「たぶん、大丈夫じゃよ」
 誰でも言いそうな事を言って老人は慰めてくれる。
「そう信じています」
 今井はそう言って頷いた。
 そして、ありきたりの会話が続いていたが、急に老人が身を乗り出してきた。
「ねえ、あんた、妖怪って信じるかね」
 ビックリするような言葉だった。いきなり何の話だ。暇つぶしの話題のつもりかもしれんが心臓に悪い。
「いえ……」
 今井は首を振った。
「そうだろうなあ、じゃが、妖怪は実際にいるんじゃよ」
 老人は真剣な目をしている。今井は思わず自分の妖気を思いっきり消した。
「妖怪はどこかに隠れておってな、時々出てきては悪さをしよる」
「はあ……」
 今井はとても信じられないといった顔で答えた。
「特にナキータという妖怪がいかん」
 今井は飛び上がらんばかりに驚いた。ナキータを知っているのか、この老人は法力使いなのか。今井はチラッと窓を見た。窓まで五メートルくらいだ。雷神を撃つと同時に飛び出して逃げだせばいい。外へ出たらともかく全速力でここから離れるのだ。封印されてたまるか。
 今井は逃げようとしたが、寸前で思いとどまった。もしナキータだとバレていないのなら下手に動かない方がいいかもしれない。あのナキータでさえ封印されたのだから今井のナキータが戦える相手ではないかもしれないのだ。今井は老人の目を見た。自分の今の動揺を気づかれたか知りたかったのだが、老人はのんきな顔をして話している。
「こいつが一番危険な妖怪でな、人間の魂を吸い取りよる。人間の魂を食べる妖怪なんじゃ」
 そこで老人は今井を見ておもしろそうにわらった。魂を食べる妖怪の話に女の子が怖がるのを期待しているような顔だ。どうやら、今井の今の動揺は気づかれなかったみたいだった。
 今井は老人の期待に応えて少し怖そうな顔をして身を引いた。
「いや、心配せんでいいよ。ナキータはわしらが捕まえる。絶対に捕まえる」
「わしら?」
 わしら、と言うからには何人もいるのか。
「わしらじゃ、我々は法力を持っておってなそれで妖怪と戦っておる。法力使いが何人もおってな」
「法力使い?」
 今井が質問すると老人は得意になって話始めた。老人は話し相手がいなくて誰かと話したくてたまらないのだ。
「人間の中には法力という力を持った者がおってな、この力を持っておると妖怪は手も足も出ない、妖怪をやっつけられるんじゃ。昔から法力を持った者が集まって妖怪と戦っておる。我々が妖怪と戦っているから妖怪はどこかに隠れて出てこない。もう千年もこの戦いが続いておる」
「千年」
 今井はちょっと驚いて答えた。ものすごく雄大な話だ。
「そうなんじゃ、千年じゃ、鎌倉時代から続いているらしい」
「でも、なぜ公表しないんですか?」
 法力使いの話なんて聞いた事がない。
「それは、わしもよくわからん。昔は幕府の公式の機関だったらしい。そして秘密裏に活動していたんじゃが、それが明治になってから政府の支援が受けられなくなった。そんな組織がある事が明治政府に引き継がれなかったんじゃ。だから、今はボランティアで活動している。ただ、昔からの習わしで秘密裏の活動なんじゃ」
「はあ…」
 今井は頷いたが、ちょっとした矛盾に気がついた。
「でも、秘密の活動なら、私にペラペラと喋ってしまっていいんですか?」
「いや、そこなんじゃ」
 老人は痛い所を突かれたとでも言うように座り直した。
「実は、そのナキータなんじゃが、我々が捕まえて封印しておいたのに逃げられてしまった。まさかまだ生きておるとは思わなかったんじゃ、実にしぶといやつじゃ、あいつの妖力は桁違いに強い、だから生き延びたんじゃ。そしてな、そのナキータが逃げた場所のすぐ横にその人が倒れておったんじゃ」
 老人は眠っている今井の身体を見つめた。
 今井はドキドキしてきた。すべてがわかっているのか。
「だから、その人はナキータに魂を吸われた事は間違いない。ただ、なぜか生きておる。つまりナキータがなぜかその人の魂を生かしておるのだが理由がわからん」
 老人は腕組みをすると首をひねった。
「だから、わしはナキータがその人の所、つまりここにやって来ると睨んでおる。わしの直感じゃ、なぜかそう思うんだ。だから、病院に頼んで同じ部屋に入院しているんじゃ」
 今井は思わず窓を見た。じゃあ、これは待ち伏せなのか。逃げた方がいいのか。でも、老人の話をもっと聞いてみたかった。
 老人はいとおしそうに今井の身体を見つめている。
「わしは、一生をナキータとの戦いに費やした。だから、ナキータに会ってみたい。もう年を取ったでな、法力はなくなってしまったからナキータが来ても殺されるだけかもしれんが、それでも会ってみたいんじゃ。それに、話が通じる相手ならその人の魂をその人に戻してやってくれと頼むつもりなんじゃ。その人は病気じゃない、だからその人を助ける方法はそれしかない」
 それから老人は笑顔で今井を見つめた。
「あんたに話したのは、その人の病気が何かを知っておいた方がいいと思ってな。ナキータにはその人を殺せない理由が何かある。だからその人は助かると思うよ。それにナキータはあんたに会いに来るかもしれん。その時はあんたからも頼むといい」
 今井はじっと老人を見つめた。ナキータとわかって話をしているのか、ナキータと察しがついていてカマをかけているのかもしれない。だったらナキータと名乗った方がいいのか、いや、むしろ全部事実を話した方がいいのかもしれない。しかし、この老人が法力使いの仲間ならナキータと名乗る事はあまりに危険に思えた。
 今井はにっこりと頷いた。
「教えていただいてありがとうございます。じゃあ、ナキータに会ったら頼んでみます」
「それがいい」
 老人は疲れたのかベットに横になった。ちょうどいい潮時だった。ここに長居は無用だ。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
 今井は立ち上がった。
「ああ、ちょっと待って」
 あわてて老人が身体を起こした。
「あんた、救急車を呼んだ人だろう?」
「はい」
 何も考えずに答えてしまった。
「だったら、その人に何があったか知っているわけだ。何があったんだ」
 一瞬、頭が真っ白になってしまった。何と答えたらいい、必死でうまい説明を考えた。
「悲鳴が聞こえたので、あわてて石段を駆け上がったんです。そしたら、彼が倒れていました」
 なんとか、うまい説明を思いついた。老人は納得したように頭をなでている。
「では、失礼します」
 今井は頭を下げると部屋を出ようとしたが、老人が手を伸ばした。
「そうじゃ、自己紹介をしておらなんだ、わしは沖田といいます」
 その老人、沖田は頭を下げる。さあ、物事の流れとして今井も名乗らなければならないが何と名乗ればいい。
「私、ヌランダといいます」
 とっさにはその名前しか思いつかなかった。
「ヌランダさん、いい名前ですね」
 老人はまだ何か話したそうだったが、今井は会釈をするとそのまま病室を出た。ほっと一息つけた。

 帰りも簡単だった。遠くから川の曲がり目を狙ってまっすぐに飛ぶと一回で妖怪世界に戻る事ができた。
 ゾージャの家に向かって飛びながら法力使いの事を考えていた。もっと法力使いの事を知っていないと危険だ。まさかいきなり法力使いに会うなんて思ってもいなかった。まあ、あの老人は法力がなくなったとか言っていたからそれで助かったのだが、若い法力使いがあそこにいたら封印されてしまったかもしれない。戻ったらミリーに聞いてみよう。



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