妖怪の妻になってしまった男(リメイク)

法力使い

 家に着くとテラスから自分の部屋に入った。
 スマホや財布を元の場所に隠そうとしてふと思いついた。結界の中に隠せばいいのだ。結界の中ならミリーに見つかる心配はない。さっそく結界を開いてスマホの電源を切って結界の手前の物陰に押し込んでいると、誰かが扉をノックする音が聞こえた。
「ナキータさま、お帰りですか」
 ミリーだ。今井は結界を閉じるとミリーに部屋に入るよう指示した。
「散歩はいかがでした?」
 ミリーが部屋に入って来る。
「楽しかったわ」
「どのあたりまで行かれたんですか?」
 ミリーは聞く、たぶん散歩にしては時間がかかったからだ」
「空を飛ぶのが楽しくて、すべてが新鮮なの。景色が綺麗で素晴らしかったわ」
 今井はわざと興奮してみせた。
「それはようございました」
 ミリーはありきたりの返事をするが何か言いたそうにしている、しかし、今井は法力使いの事を聞いてみたかった。
「そうだ、教えて欲しい事があるの」
「なんですか?」
「法力使いの事だけど、法力使いはどうやって私たちを攻撃してくるの?」
「ああ」
 急な質問にミリーがビックリしている。
「なんでも、大勢の法力使いが一斉に法力をかけてくるそうです。そうすると蜘蛛の糸にからまったみたいになって動けなくなってしまうらしいです。そして動けないまま封印されてしまいます」
「そう……」
 なんとなく予想していた通りだが、これでは肝心の事がわからない。
「でも、妖気はそんなに遠くまでは届かないでしょ。法力使いはなぜ私たちが人間界に来た事がわかるの。たぶん、法力使いがいる場所からはものすごく離れているはずよ」
「私達が妖力を使うと妖気が出てしまいます。それを待ち構えているんです。特にナキータさまは人間の魂を食べられますから、魂を食べる時に強い妖気が出てしまいます。それを狙っているんです。それに法力使いはものすごく遠くから私達の妖気を感じることが出来るようです。そして法力使いの法力はこれまたものすごく遠くから届くんです」
 ミリーは肩をすくめる。
「なるほど、じゃあ、妖力を使わなければいいのね」
「まあ、基本はそうですが、空を飛ぶにも妖気を出します。だから人間界に行かないことが一番です」
「なるほど」
 今井はそう答えたが人間界に行かないわけにもいかない。
「で、その法力に対抗する方法はあるの?」
「ありません。どんな強い妖怪も法力使いにはかないません」
 ミリーが宣言するように言う。
 今井にもこの言葉は衝撃的に響いた。特に法力使いに狙われているナキータの身にとってはかなり怖かった。
「でも、妖力を使っても大丈夫な時もあるでしょ、それは何故なの?」
 たった今、空を飛んで人間界に行ってきたところだ、空を飛んだ時、妖気を出したはずだが攻撃されなかった。
「そうです、ほとんどの場合大丈夫です。つまり、法力使いは集団で攻撃してきますので準備がいるんです。攻撃の準備をして待ち構えている時に行くと殺られてしまいます」
「でも、ゾージャは私が封印されている間、毎日のようにあそこへ来ていたのよ。なぜ、法力使いはゾージャが毎日来ることが分かっていたのに攻撃しなかったの?」
「それは、ゾージャさまが無害な妖怪だからです。法力使いも盲滅法に攻撃してくるわけではないようです、危険な妖怪だけを狙っています。それとソージャさまが強い妖怪だからです。万が一攻撃されても捕まる前に逃げ切れる自信がおありだったからだと思います」
「逃げられるの?」
 これはいい情報だった。
「ええ、ナキータさまも逃げ帰ってきてから『今日は危なかった』とおっしゃっていた事が何度もありました」
「だったら、危ないと思ったらここに逃げ帰ればいいわけね」
「いえ、それも、法力使いの人数によります。人数が多いとあっと言う間に動けなくなるそうです。ナキータさまが封印された時はものすごい人数の法力使いが集まっていたそうです」
 今井は唖然としてミリーを見た。俺は別格で狙われているから人間界に行くことはかなり危険なんだ。

「あのう、これでお尋ねは終わりですか?」
 ミリーはさっきから何かを言いたかったらしく、困ったように聞く。
「なに?」
「マドラードさまがおいでになっています。下で、ナキータさまのお帰りを待っていらっしゃいます」
「マドラードが……」
 重いおもりを投げつけられたような感じだった。そうか、マドラードとの関係は何も進展していないのだ。
「この部屋にお通ししますか?」
 ミリーが聞く、今井はしばらく考えていたが断る訳にもいかない、しかたなく黙って頷いた。
 ミリーが下の階に降りていくあいだ、今井はミリーが出て行って閉まった扉を見つめながらどうしたものかと考えていた。断るしかないのは当然だがマドラードは納得しないだろう。
 しばらくすると扉をノックする音。
「はい」
 今井は緊張して答えた。
 扉が開いてマドラードが顔をみせた。妖怪の正装だろうかずいぶんと立派な身なりをしている。
「ナキータ、話がある。入っていいか?」
 マドラードが尋ねたが有無を言わせぬ口調だ。
「どうぞ」
 今井が答えると、マドラードは部屋に入ってきた。そしてナキータを見つめたまま後ろ手で扉を閉めた。今井は緊張で口がからからだった。
 マドラードはナキータの横をゆっくりと歩いて部屋の中央にあるソファーの所に行き、そこで振り返った。
「まあ、座らないか?」
「ええ」
 まあ、突っ立ったままで出来るような話ではないかもしれない。しかし、ソファーに座るにはマドラードの前まで行かなければならない。今井は顔を上げると堂々と歩いてマドラードの前に行った。そしてマドラードを睨みつけるようにしてソファーに座った。
「お茶でも入れよう」
 緊張しているナキータに対してのんびりとした口調だった。そしてマドラードが調理台の方に行こうとする。この部屋にはお風呂の横にこじんまりとした調理などを出来る場所があるのだ。
 今井はソファーに座ったはいいが、このソファーは深すぎて身体が安定しない。そこで座り直した。
「いや、いい」
 不意に、マドラードが今井の方に手を伸ばした。
「俺が入れる、この部屋には詳しいんだ」
 そしてマドラードはニコッと笑った。
 今井はビックリしてマドラードを見ていた。そうだ、俺は女なんだ、こんな時は俺がお茶を入れないとまずいのかもしれない。今のマドラードの仕草はナキータがお茶を入れるために立ち上がろうとしたと思って止めたのだ。まずい。しかし、お茶を入れると言っても俺はお茶の入れ方を知らない。そんなの知ってる訳がない。
 マドラードが調理台がある部屋に入って行こうとしている、今井は立ち上がるとマドラードの後を追った。
 調理台を見るともう火が着いている。妖力でやっているんだろうがガスレンジより便利だ。
「いいよ、おれが入れるから」
 ナキータが追って来たのをみてマドラードが嬉しそうだ。
「いえ、あの、それは私が入れるべきだと思うんですが、でも、私、お茶の入れ方を知らないんです。何も覚えてなくて……」
 なぜか引け目を感じて夢中で言い訳をした。
「わかってるよ。俺が入れるから君は向こうで座っていなさい」
 マドラードが優しく言ってくれる。
 仕方なかった。今井はソファーの所に戻ると乱暴にソファーに座った、どうもまずい展開になってきた。マドラードに冷たくするつもりだったのにいいようにあしらわれている。
 しばらくしてマドラードがお茶を持ってきた。今井の目の前でお茶を入れてくれる。お茶を入れ終わると、マドラードはソファーにゆったりと座り、自分の湯のみを手に取った。
「さあ」
 ナキータにもお茶をすすめる。しかし、今井は飲まないつもりだった。マドラードの作戦に乗ってたまるか。
「あれから、考えたよ」
 ぽつり、とマドラードが話始めた。
「記憶がなくなったらどうするのが一番いいかってね。君の立場になって考えてみた。記憶がなくなって、知っている人が誰もいなくて、知っている場所もなくなったらどうするだろうってね。確かに恐ろしい状況だな。そうなったら、まず、とりあえず安全と思える所にしがみつく、それしかない。まして、それが自分の夫であって自分の家であって自分の部屋があったら、もう完璧だな。他の選択肢なんてありえない、浮気相手なんて論外だ」
 そこでマドラードは自傷ぎみに笑った。
「だから、君は正しい。ゾージャの妻という絶対に安全で安定した居場所があるのに、それをすてて飛び出して行くなんて馬鹿げてる」
 それから、マドラードは湯のみに手をつけていないナキータを見た。
「飲まないのか」
「ああ」
 意外にも話がいい方向に進んでいくので今井は気をよくしていた。これなら意地をはらなくてもいいかもしれない。
 今井は湯のみを手に取った。飲んでみるとおいしい。ミリーの入れるお茶と全然違う。
「おいしい」
 おもわず、そうつぶやいたが、マドラードが嬉しそうだ。
「ゾージャとはうまくいっているのか?」
 感情のない声でマドラードが聞く。
「ええ」
 今井は小さな声で答えた。
「ゾージャとは仲が悪かった事は知ってるな?」
 今度は少し語気荒く聞く。
「はい」
 今井もしっかりとした口調で答えた。
「それならいい」
 マドラードは納得したように頷いた。それから遠くを見るように顔を上げた。
「俺は待つよ」
 のんびりとした口調だった。
「俺は待つ。君がゾージャと暮らせば、また以前と同じようになる。君とゾージャは合わないんだ。だから、君がここに慣れてきて以前と同じ生活が始まれば、また以前と同じ事が起きる。以前と同じように君はゾージャを嫌いになる。だから俺はそれまで待つ」
 マドラードは夢見るように話している。しかし、この待つと言うのは心苦しかった。俺は男だからゾージャもマドラードも好きになることはないのだ。それなのに待っていられたのでは良心の呵責に苦しむ。
「君は俺を愛してる事を忘れてしまっているが、いくら記憶がなくなっても愛が消えてしまうことはない。だから、また、元のようになる。恋心は記憶とは関係ない。理性で恋をしてるわけじゃないから理性の根拠となっている記憶とは無関係なんだ。だから君には恋の気持ちは残っている。ただ、今は大変な時だから理性がすべてを取り仕切っているだけだ。落ち着いてきたら、恋がまた表に出てくるようになるよ。それまでの辛抱だ」
 マドラードがナキータを見つめている。彼女の心の中には自分への愛があると確信しているらしい。
「君はすばらしい。他の女とぜんぜん違う。男を頼らないで、自分の力で生きていく。明るくて、力強くて、人の思惑など気にしない。自分が正しいと思った道を進んで行く。誰が何と言おうとだ。君みたいな女性を見たことがない。俺は君を束縛するつもりは毛頭ない。君の生き方の支えになれればと思っているんだ」
 マドラードは切々と語る。マドラードの話しを聞いているといつしかナキータという女性に引かれてしまう。しかも、自分がそのナキータだと思うとどこか嬉しい。
「君は情熱的だ。どんな事にも情熱を注ぐ、手抜きなど絶対にしない。君は何かをする時は頑張るのではなくて情熱を注ぎ込む。だから君がする事はすばらしいのだ。君の存在そのものがすばらしい」
 マドラードがうっとりとナキータを見ている。こんな風に言われると今井も嫌な気はしなかった。どこか嬉しくなってしまう。しかし、ふと気がついた。これって口説かれてるのか。
「ナキータ、奇麗だ。燃えるような瞳がいい。人を虜にする目だ。小さな唇もいい。かわいい唇だ……」
 マドラードはロマンチックな口調でささやくように語りかける。こいつ、ナキータを口説いているのか、危ない危ない危うく口説かれるところだった。
「あの」
 今井は椅子に座り直した。
「ヌランダに会ったわ」
 ちょうどいい話題だと思った。ヌランダを持ち出せば口説いてなんかいられなくなる。
「ヌランダ?」
 さすがのマドラードもこの名前には驚いたように顔を上げた。
「ヌランダが何か言ったのか?」
 マドラードが聞く。不安そうだ。
「あなたから手を引けと言われたわ」
「あいつ……」
 マドラードは唇をかみしめた。
「ヌランダが何と言ったか知らないが、全部でたらめだ。俺とは何の関係もない」
「でも、ヌランダはあなたが大好きみたいよ」
「それで俺は困ってるんだ」
 マドラードがブスッと答える。
「それでね、ヌランダと取引したの、あたしはゾージャでヌランダはあなたって」
 今井はちゃめっぽく言った。
「そりゃ、君の大損だろう」
 マドラードが笑う。
「そうかな、いい取引だと思うわ。それに、ヌランダは大喜びだったわ」
「だから、それだとヌランダが大儲けだからだ」
「ヌランダって、いい子だと思うけどな」
 心にもない事を言った。なんとかしてヌランダをマドラードに押し付けなければならない。
「いい子ではないが、一途だな。思い込んだらもう他の事は考えられないタイプだ」
「そんなところはあるわね。それにやさしいし」
 また、出まかせを言った。ともかくヌランダを持ち上げてナドラードをその気にさせるのだ。
「やさしくはないな、気の強い子だ。でも、自分の考えをしっかりと持っている」
 今井はちょっとムカッときた。いちいち俺の言うことに反対する。
「勝気だけど、思いやりはあるわね」
 もう一度言ってみた。
「おもいやりね、彼女におもいやりがあるかなあ」
 やっぱり反対する。
「やさしくて、思いやりがあって、尽くす子だと思うわ」
 全部並べてみた。
「そうだなあ、あれはなんと言うんだろう。自分の世界の中に入っていて自分の世界の論理では懸命に尽くしてるんだ。ただ、現実ではそれが空回りしてしまう」
 マドラードはヌランダをやさしく語る。今井はマドラードを不思議な目で見つめた。
「ヌランダを好きなの?」
「まさか。あいつは俺とは釣り合わない」
 言葉は冷たいが口調はそうでもない。
「それがヌランダを嫌がる理由?」
 今井はもっとヌランダの事を聞き出したかったがマドラードが頭をかいた。
「もう、ヌランダの話はよそう。問題なのは僕等のことだ」
 そこで彼は湯のみを取ってお茶を飲んだ。
「僕は待つよ。同じ事がもう一度起きるまで待つ」
「いえ、私はゾージャとやり直そうと思っているの、だから待っていられると気になるわ」
「やさしいんだね。でも、気にしなくていい。君がゾージャとうまくやるようになったら俺は諦めるよ」
「たぶん、必ず、そうなると思うの。だから今あきらめて」
 今井ははっきり言った。しかし、マドラードは落ち着いている。
「いや、俺は君の愛を信じる。君のその胸の中にちゃんとあるはずだ」
「もう、ないわ」
 かなり冷たく言ったが、マドラードは首を振った。
「さて、そろそろ帰るかな」
 彼はナキータを見て微笑む。
「君のそんなやさしいところが好きなんだ」
 彼はテーブルに手を伸ばすとナキータの湯のみを手前に引いた。片付ける気だ。まさか、そんな事までさせられない。
「いえ、大丈夫よ」
 今井はあわてて彼の手を押さえた。ナキータの手がマドラードの手に触れてしまった。そして手が触れ合ったままマドラードと目が合ってしまった。マドラードの目が嬉しそうに細くなる。
「じゃあ、後は頼むよ」
「ええ……」
 今井もなぜかドギマギしてしまう。なぜだ。俺は男なのになにを興奮してるんだ。
 マドラードは立ち上がった。
「俺は待つよ。いつまでも待つ…… それじゃ」
 そう言うと、なぜかマドラードは扉とは反対の方に歩いて行く。なんだ、帰るんじゃなかったのか。しかし、マドラードはテラスに通じるガラス戸を開いた。
 なるほど、ここから帰るのだ。たぶん、いつも彼はテラスから入ってきて、テラスから帰っていたのだ。まあ、空が飛べるって便利だ。



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